想像以上によかった! 「今の自分が創りたい、聴きたい」をカタチにしたアルバムだという思いがダイレクトに伝わる作品。

文句なしの最高傑作です! 実験的で斬新で刺激を受けるアルバムですね。好き嫌い別れますが、私は大好きです。 瞑想にも使える曲もあり、癒されます♬ いわゆる、『同期』する音楽を、期待される方には理解しがたいアルバムかと… 教授のキャリアを、考えると保守的な方向に音楽性が傾くのが一般的な流れでしょうが、ご自分のやりたい事を自由にされる姿勢も大変素敵で触発されます!!! 余談ですが、教授のお気に入りの曲はfullmoonだそうです。

人間が内に秘めた静かな心を表現している 他の誰がでは表現出来ません。 坂本龍一しか表現出来ません。 素晴らしい!

今の自分の能力でしっかりと解釈出来ているのか不安 音楽で頭の中にこんなにも映像が浮かんだのは初めての経験。 恥を承知で質問、誰か教えて下さい。 この人は音楽で震災の史実を描いたの? ただ一つ、否定というか不満があるなら 一曲一曲をもっと長い時間聴いていたい欲求をシステムのリピート機能でしか満たせない事だけ。 ここに入っている全ての曲で、1つのストーリーを感じた。 アルバム買いを強く推奨。

ねいろ仙人 ずっと待ってました。 ふと思い出して、ずっと聴いてくと思います。

珠玉の一枚! andata 今聴きたい、日常が詰まった音。 心が耳に伝わる贅沢感。凄すぎる。ぜひお気に入りのインセンスとともに。 出会えてよかった。待ってました、珠玉の一枚です。

【24年間待ったキャリア最高傑作】 今回の坂本龍一さんの新作ソロアルバム『async』は、前作『out of noise』はじめとした過去のどのアルバムよりも自分の耳に完全にフィットする内容で驚きました。 教授が「あまりに好きすぎて、他人に聞かせるのがもったいない」というのなら、私は「あまりに好きすぎて、安易に聴き返すのがもったい」とさえ感じるぐらい。 アルバムタイトルの『async』とは「非同期」の意味。そこで目指されているのは、五線譜や拍節構造に縛られた狭義の「音楽」から逸脱する、不規則な「ズレ」に満ちた自由なサウンド。 その不規則性の導入のために、偶然そのものである環境音の戯れや、非西洋の音楽の要素などが参照されているのでしょう。 そんな本作を聴いているうちに、自分が20歳だった93年の記憶が蘇ってきました。 その年は、狭義の「音楽」に飽きたらず、ジョン・ケージ「4分33秒」のアイデアやアンドレイ・タルコフスキー映画の音響に心酔し、環境音に耳を開くことを覚えた年でもあり。記録的な長雨の中、毎日、雨の音に飽かず耳を傾けていたことを憶えています。 ケージやタルコフスキーを通じ、知覚や「音楽」の定義変更を迫られた24年前の私。 当時の自分に、既成の枠にとらわれない教授ならではの音楽を妥協なく追求した、このキャリア最高傑作のことを教えてやりたいです。きっと喜ぶだろうなと思います。 ということは、私は24年間、こんな作品を待ち続けていたのかも知れないですね。これまでの教授のどのソロアルバムよりも、自分の心に近い作品でした。 M-1「andata」 3.11後最初のソロアルバムにふさわしく深い祈りの感情が伝わってくる。その音像は、まるでバッハのコラールに彩られたタルコフスキー映画のよう。高まるノイズと電子音による混沌は「ソラリスの海」か。 ちなみに『async』の私的ベストはこの「andata」。イタリア語で「行く」という曲名からは、ルイジ・ノーノがタルコフスキーに捧げた「進むべき道はない、だが進まなければならない…アンドレイ・タルコフスキー」を連想させられたり。いまだ困難を抱えた被災地への思いが伝わります。 M-2「disintegration」 「崩壊」の名にふさわしい不穏なトラック。ケージを思わせる硬質で金属的なプリペアドピアノや内部奏法の音が非同期(async)に並走する。教授による映画『デリダ』サントラにも通じる孤高の響き。 M-3「solari」 曲名を見た瞬間に映画「惑星ソラリス」を連想しましたが、まさにタルコフスキー映画のサントラのよう。同作で象徴的に使われていたバッハのコラール前奏曲BWV639を思わせる響きも。 M-4「ZURE」 様々な音色が非同期(async)にズレをはらみながら、ささめき合う。どこかしらユーモラスな響きも感じられ、教授の「Ballet Mécanique」の機械音やコーネリアスのサウンドを思わせるものも。 M-5「walker」 静まりかえった森の中で落ち葉を踏みしめる「足音」が主役の楽曲。遠くから響くオオカミの遠吠えのようなサウンドは、ベルトイアの音響彫刻によるものかな?本作の中でも最も静謐でパーソナルな響きの楽曲。 M-6「stakra」 曲名は古語で「よろめく」の意味か?酩酊するようなサイケデリックなミニマルサウンドは、テリー・ライリーやフィリップ・グラスを連想させるものも。静的なアルバム内の躍動的なトラック。80年代の教授作品を思わせるものも。 M-7「ubi」 まるでショパンの夜想曲のようにロマンティックな響きを持つ、甘美なピアノ曲。定期的に繰り返されるパルスは、点滅しながら夜空を照らす誘導灯の瞬きのようで。夜更けのパリの街を彷徨う映画のワンシーンが脳裏に浮かぶよう。 M-8「fullmoon」 チベット仏教の仏具にルーツを持つシンギングボールの美しい倍音が響く中、ポール・ボウルズ、ベルナルド・ベルトルッチら11人が様々な言語で小説「シェルタリング・スカイ」の一節を朗読する様子は、とても映像喚起的。ポリフォニックな言葉の交錯はゴダール映画的でもあり。 M-9「async」 オーケストラ版「still life」の五線譜に縛られない構造を、アルヴァ・ノトやアンサンブル・モデルンとのコラボ『utp_』の弦の音色で置き換えアップデートしたかのよう。ピチカートの激しい雨が降るような自由で過激なトラック。 M-10「tri」 タイトル通り「3人」の奏者による「トライアングル」によるアンサンブルと、電子音によるシミュレート。まるで雨だれのように非同期的(async)に響く、金属音と電子音は新しいガムラン音楽のようでもあり。 M-11「Life,Life」 静謐で美しい笙とシンセのドローンに、タルコフスキー監督の父アルセニー・タルコフスキーの詩を朗読するデヴィッド・シルヴィアンの深々とした声。よく似た編成で演奏された、震災直後の2011年4月のNYでのチャリティーコンサートを思い出します。 M-12「honj」 小さな裏庭に静かに降り続く雨音をバックに、沁み入るように響く三味線の音色が印象的。かつて『ビューティー』に収録された沖縄民謡の三線の響きを連想したりも。なんとも懐かしい感覚をおぼえます。 M-13「ff」 和声感にあふれ、優しく柔らかな印象のドローンミュージック。シンギングボールにも通じる倍音が美しい。次のM-14とあわせ、どこかYMO『テクノデリック』の「前奏」「後奏」の流れを連想させられたりします。 M-14「garden」 イマジネーション豊かな響きが形作る「音の庭」。目の前の景色が緩やかに溶けていくような感覚に。生の弦楽器の音が電子的に加工されているのでしょうか。生音と電子音が止揚されお互いに溶解している印象です。

坂本龍一が探求してきた全てを凝縮した曲 戦メリやラストエンペラーは才能だけで作った名曲やけど、アシンクは坂本龍一が3.11以降探求し続けてきた音と音楽と世界と人生と生命とありとあらゆることをとことん探求して凝縮した濃厚な曲。自己の全てを出し尽くし、一音一音に魂を込めた曲やと思う。これを聴かずして次世代の音楽は語れない。

andata 残酷な程 優しく。

お寺の静けさ 一人で進化したYMOと言う感じですね。 僕ならアカデミー賞を差し上げます、富田さんより長生きして下さい。